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『三年間の三姉弟』 里母AN
我が家の末っ子の男の子が1歳になって数日後、突然2歳と3歳の姉妹は、やってきました。その当時上に5歳の女の子、6歳の男の子がいて一気に賑やかな我が家になりました。
末っ子の男の子にしてみたらいきなりの年上の子どもたちの出現に生後5か月で6歳の男の子が来たときには赤ちゃんだったけど、赤ちゃん返りをしていました。そして、2歳3歳の姉妹が来てからは歩く気配もなくなり、1歳の男の子が歩き始めるまでにはここから10か月の月日を要することになりました。今にして思えば家庭にいたら兄弟姉妹は下にできるもので上にできることはありません。赤ちゃんにしてもかなり複雑な心境だったことと思います。それでもいつでも一緒の姉妹の性格ではないんです。面倒見がよくって優しい姉、そして自由奔放でユニークな感性をもった真ん中、そして甘え上手な末っ子と言う構図がいつのまにやら出来上がっていました。
そして昨年度は三人揃って幼稚園に登園していました。年長、年中、年少の三人。朝、幼稚園バスに乗る時には笑顔の末っ子も幼稚園で外遊びの後、体操をしてそれぞれのクラスに戻るときに「Rちゃんがいい」と言って大泣きしていたそうです。初めのころはクラスの列ではなく年長のお姉ちゃんの横に並んで立っていた末っ子です。二人のお姉ちゃんは幼稚園に着いても末っ子の面倒を見ることに余念がなく、着替えなども部屋まで行って手伝っていたようです。しかしある日、末っ子の担任の先生に「着替えを手伝ってはだめ」と言われたようで帰ってくるなり「Yの着替えを手伝ったらダメって言われた」と落ち込んで帰ってきたお姉ちゃんでした。担任の先生には「お姉ちゃんが何でもしてしまうのでY
くんは何もできない」と言われました。それからは二人でYの着替えが終わるまで部屋のドアにへばりついて見守っていたとのことでした。またある日、年長のお姉ちゃんの用事でお姉ちゃんだけ早退して連れて帰っていたところずっと園庭を見ながら「Y大丈夫かな?Y大丈夫かな?」と言うお姉ちゃんでした。
この頃の三人は幼稚園でも一緒に遊び、帰ってきて家の中でも一緒に遊ぶ。外に行っても一緒に遊び、お姉ちゃんが友達の家に遊びに行く時にはもちろんついて行ってました。どこに行くのも遊ぶのも片時も離れることなく一緒の三人でした。
そんな三人の別れは突然やってきました。二人姉妹が実家庭に帰ることになり、末っ子だけが残されることに。末っ子は二人が外泊をするようになってからずっと「Rちゃん、rちゃんがいないと嬉しくない」と言って泣いていました。そして二人がいなくなった次の日からおねしょが始まり、指しゃぶりまでするように。そして食欲もなくなった末っ子。指しゃぶりは2週間、おねしょは1か月。そして食欲が戻るまでには半年以上かかりました。今は、元気を取り戻したように見える末っ子ですが、喪失感はそう簡単には埋められないようです。強いつながりをもった三人ですがそのことで末っ子がつらい思いをしたのではと考えることもありました。どうしようもないことと言われればそれまでですが、どこ
かにやるせない思いが残りました。もうすぐ末っ子の下に新しい妹が増える予定です。これからも様々な葛藤を抱え、闘っていくことになるんだろうなと思いつつそれでも三姉妹のような絆をつくって欲しいと思えるようになったこの頃です。
わずか三年四か月だけの三姉弟でしたが実の姉弟に負けないつながりで思い合っていた三人。どこかでお互いに喪失感だけでない思いに変わってくれることを願わずにはいられません。
『ママと呼ばれて』 里母AN
里親になって初めてお預かりしたのは二歳の男の子、三歳の女の子、六歳の女の子の三姉弟でした。この三姉弟との生活はわずか10ヶ月と短いものでしたが、
今でも三姉弟のいない空虚感、喪失感を埋めることができません。
両親は日中、夜間問わず家にはおらず、肩寄せ合って生きてきた姉弟でした。
出会えた時「よく生きていてくれたね」というのが正直な感想でした。
4人の生活が始まると子どもたちは意外にすんなり我が家の生活を楽しみ始め、
二歳になったばかりの弟は委託初日から素直に甘えを出してきて
驚かされました。
甘える体験をしたことがないはずの弟は本能的に甘えを求めているようでした。
そして甘えを知らない三歳のお姉ちゃんは弟が抱っこされるのを見て、
見よう見真似で同じことを求めてきて、甘える心地よさは後から
分かってきた感じでした。
六歳のお姉ちゃんはというと今まで二人の面倒を、ずっとみながら生きてきていたのでその世話から解放されて生き生きと自分のしたいことをしていました。
そんな六歳のお姉ちゃんが委託初日に
「今日からAさんのことママって呼ぶから」と宣言。戸惑いまくった私が
「でもYちゃんにはママがいるでしょ」というと
「今日からAさんがママの代わりをするちゃろ。だからママでいい」と言い、なんの戸惑いもなく「ママ」と呼ぶお姉ちゃんでした。
しかし私が自分ことを「ママ」と呼ぶようになるまでには
半年以上かかりました。
そしてまだ言葉が出ていなかった二歳の弟も言葉を覚え始めると自然と「ママ」と呼ぶようになっていました。弟の口癖は
「ママがいっちばん、いっちばーん、だーいすき」でした。
今でもその言葉の響きはずっと耳に残っています。
お姉ちゃんは
「パパとママが病気で入院しているから病気がよくなるまで、Aさんちにいようね」と言われてきたようで常に
「Aさんちにずっといていい?」と聞いてきていました。
「ずーっといていいよ」と言われ安心してくると今度は
「ママはっずっとここにおると?」と聞いてきていました。
安心していられる場所、そしてずっと見守ってくれる人がいることが子どもたちにとってどれだけ救いとなることなのかを改めて知らされました。
そして半年ほど過ぎたある日の夕食の時にお姉ちゃんが
「ママ、天国に行っても一緒にいようね」と言ってきて、
「うん、一緒にいようね」と言ってあげればいいのに
「でも天国って人が一杯いるんじゃない。Rちゃんを見つけきるかな?」
というと
「じゃあ待ち合わせしよう」
「天国に駅があるからそこで待ち合わせしたら大丈夫」と。
ずっとずっといていい安心できる居場所。そして、ずっとずっと一緒にいてくれる人を子どもたちは求めていることを感じさせられました。
そんな三人との別れは突然やってきました。別れを聞かされその日までわずか二週間余りでした。
私自身の心の整理もできず、子どもたちが納得することもできないままの別れはかなり辛いものでした。
「ママがいい」
「ママの所におる」という子どもたちに
「いいよ」と言えない辛さは
今も心に残っています。三人に出会えたことに感謝しつつ、今はただ子どもたちの幸せを願うばかりです。